2018/06

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亀が石の上で甲羅干し中
魚が泳いでる。
その波紋が水の上面を揺らしている。
脚の長い鳥もいる。
川の周りに草が生え放題
多分 虫も沢山その中にいるだろうと予測出来る。


一見 自然豊かな動植物の好環境
肝心の川の水はお世辞にも綺麗とはいえない。

ひょっとしたら、奴らはここぐらいしか

棲みつく、寄り付くことできないのではないか…
本当はもっといいところに行きたいのに…
やってくるのも、快適な住環境だからではなく、

喰うために、生きるためだけに…


そう思ったらなんかさびしくなってきた。

先日観た映画、“万引き家族”を見終わった時と似たような感覚を覚えた。

考えさせられる。


自分の中の気持ち〜心の状態が行動を決する。
これ間違いない。
しかも、かなりの比重を占める。


同じ事をするのに、

心の状態次第で行動の取っ掛かりからかなり影響する。
心の状態が良くもなく、悪くもなく±0の直線でも、

これからする行動が、気乗りしないものなら、

重苦しい身体と気持ちで行動する


その結果の成果も自ずと納得いかない

負の連鎖を引きずったままのものになる。


行動する前から、その行動とは別の要因で気持ちが晴れ晴れしてなく、

もやもやしてたら、その後の行動にも悪影響を及ぼす。


心の状態を左右するのは人間関係環境要因が多い。
なので、職場.取引先.家族.友人.知り合いとの人間関係を

いかに良好に保つべきか…が鍵になるような気がする。


やっぱり人間関係って大事なんだ。
やらなきゃならないから行動するものも、
やりたいから行動に移すものもある事だし…
同じやるなら、いい状態で行動したいものです。


ならば、その鍵を握る部分を良好にするよう努めるのが最重要
我慢もあかん。
言いたい放題、やりたい放題もあかん。


自由と規制 節度のバランスをうまく調整するのが人間力を左右する。
しいては、行動の連続、行動の集合の人生を左右する。
大袈裟かもしれないが、頭にそれらをかすめておけば、

いい生き方できるんじゃないかと

何故か、樹に登って作業しながらこんな事考えていた本日の壱人言


あかんこと
人に注意しなければならない時、
自分の気分をすっきりさせたい。
ということを引き連れて言葉を放つこと
もやもやを言葉の裏に含めて相手にぶつけて、
もやもやを自分から放出させようとすること

それらを飲み込んで言葉を放つ。
「できればあなたに注意をしたくない。」
という事を前面に押し出して、
「次からあなたに注意をしたくないから、気をつけてなっ」
という思いが伝わるように工夫調整して、言葉を放つ
これ大事


注意したくないから、注意しない。
これもあかん。放置もあかん。


家族間でも、職場間でも、
一緒に暮らしてる。
一緒に仕事してる。
人間同士なんだから、必ず思いは伝わる。


そう信じて、喜怒哀楽の“怒”を一旦飲み込む事も必要
伝われば、飲み込んだ“怒”も知らぬ間にどっかに行ってるはずやから…


あぁ 馬鹿馬鹿しい。
あぁ 馬鹿馬鹿しい。
情けない。


ひとりの大人として関わっていきたい。
ひとりの大人として関わっていこう。
と思ったのは、数年前。
それなりにしっかりしてきた。
多少の細かいところは目を瞑ろうと目もつぶってきた。


神様じゃないんだから、うっかりやミスは誰にでもあるのだから…
‘にんげん’だから、完璧を求めてはならない。
目を瞑るたびに蓄積されている感はあった。
逆の目線で、
‘にんげん’だから、完璧に近づけようと意識.努力しなくちゃならない。
そういう考えもある。
意識なしの「まぁええっか。」
これが続くとあかんでしょ。
やんわり注意で忠告して、いい返事をしてるのに、実際またやってる。
これはあかんでしょ。


意識なくして、 改心なし。
改心なんて大層なものじゃない。
決して、難しい事ではない。


ただ、甘えの根元「まぁ ええっか。」が、元凶
大人対応を求める‘にんげん’同士の葛藤
お互いが馬鹿馬鹿しさを感じてたらあかん。
もぅ これっきりにしていい関係を一日も早く完成させたい。

 


私の名前は“一人”
祖父がつけてくれたとは聞いているが
どういう由来でつけてくれたのか、
定かではない。
そして、今となっては聞くことは出来ない。
幸い 幼い頃から、ひとりぼっちで寂しい思いをした事も記憶にない。
一人でもたくましく生きていける人間に…
そう由来を仮定すると、
最近つくづく思う。

その名前は嫌いではない。今となればむしろ好んでいる。


私は一人では生きていけない。
一人でなんとかしなければならない状況にさらされたら、

何とかしようともがき、あがき、

諦めず頑張ろうとするだろうが、

家族や仲間と協力して達成する有り難み.喜びと満足感を知っているから、

信用できる人間が側にいて欲しい。


出来るだけ、一人は避けたいと望んで生きている。
恐らく、ほとんどの人がそうだと思うが、

一人が好きだという人もいるだろう。
それはそれで人の生き方だから否定はしないが、
そんな人に私の名前を披露するのは少し躊躇する様な気がする。
 


○○ぽっい。
とか、
○○ぽさが出てる。
いわゆる、○○らしさ。

ってやつ。


意識して、作ってるものでなく、
自然と現れてる雰囲気ってやつ。
それは、自然と発され、自然と感じれるですなぁ。
どこでどう生じ、どうやって出してるのか…
不思議なものです。
日頃の生活、行動、想い、考えがその基となってるでしょうなぁ。
ありますもんねっ。
それぞれ、放つ雰囲気ってやつが…
良きも悪しくも…
そんな自分が放つ雰囲気を受け止め、

生かして行きたいと思うこの頃


期待されないのも、寂しいもの
過度に期待されるのも、精神的圧力かかるもの

 

その比重はそれぞれってなもんだが…

 

本人に感じられる表に出る期待
自分の内に秘めたる表に出さない期待
どちらにしても、
期待の掛け方、掛けられ方って難しい。


応える。
応えられない。
で、明暗.でこぼこ.浮き沈み くっきり
精一杯やってたら、期待なんかいらない。
そういう結果を出しつつも、
“期待”の難しさをひしひし感じる47歳 父の壱人言

 


自分の事でなく

大事にしてる、大事にしてきた者の吉報は自分の事以上に嬉しい。
こんな感覚 幾度とあるが、そう頻繁にない。
目標を目指して頑張ってる姿勢を垣間見て、

多くは語らないが、通じてる。
まだまだと思いつつも認めてる。
その結果が数字や評価として現れる。
心から喜んでる姿を目の当たりに出来て、幸せな気分になる。


大事にしてきたものだから、自分自身ではないのだが、

中身は自分の事

 

こんな感覚 最高。
家族ってやっぱりいい。


厳しいことも言ってきた。
面倒な事も確かにあった。
諦めず、放ったらかしにせずにいれたのも、

家族という特別な感情。


家族っていいなっ。


これからも応援するし、応援してくれるだろう。

相乗効果をいい方向に向けていきたい。


話してて、相手さんが、

“皆まで言うな”的な流れを感じる時がある。
それが、全て理解されてそういう感じをかもしてるのか、

適当、アバウトに対応されてるのか、

分からない時がある。


直接 聞いて確認できれば、こちらも対応できるのだが…
全てを理解してくれていると思って話をきって、

失敗してしまうこともあるし、
適当、アバウトで真剣味に欠けると判断して申し訳ないけど、

期待してなかったのに完璧に対応してくれている時もある。


同じ人でも、時々で両者がおこる。
どうなってるんだか…


重要な事は、どちらの場合でもきっちり伝えるのだが…
さほど、そこまでの時はこちらもそこそこにしてしまうから、

ある意味結果が楽しみ。


人間って本当に難しく、

どう出てくるかわからない不思議な生き物です。


私もそう思われているんだろなぁ…
と、ふと思った本日の壱人言


今まで、どれだけの言葉を発してきただろう。
これから、どれだけの言葉を発するだろう。
1日、1週間、1ヶ月、1年
どれだけ…
これからも数えてられない会話


時に、先ず
「ありがとう。」
「ごめんなっ。」
「申し訳ないのですが…」
「ご苦労様です。」
なんて言葉から始まる会話は終始うまくいくような気がする。
もちろん、うわべのとってつけた言葉なら意味なし。効果なし。
自然と発せば、感情こもり、そのまんま現れてくるもの
自然と出てこようとしてるものを押し込む必要なし。
目は口ほどに物を言うけど、自然と出てきた言葉はそれ以上。
威張ってみても、恥ずかしがっても、見透かされてる。
会話の順序を間違えないようにしよう。
みんな自然に出てるくもんだと思うのだが…
人間だから…